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トワイライツ・ノーツ

日記と本と、時々Web

勉強は、やらなくてもいい時にするのが楽しい

最近勉強をし直しているのだけれど、これが学生時代と違って本当に楽しいのだよね。

買っている本を見てもらえるとわかるけれど、歴史や数学関係の勉強をしている。
http://astore.amazon.co.jp/kuichislist-22?_encoding=UTF8&node=10

学生時代歴史や数学が大嫌いだったというのに、今やってみると、実はこれらってかなり面白い教科だと思う。

特に基礎の数学は、就職してから結構必要になると実感しているので身が入る。それに、問題が解けた時の爽快感がちょっと癖になるのだ。


◆ ◆ ◆


そもそも私は、学生時代(今もだけれど)勉強嫌いだった。強制されると途端にやる気が削げるタイプで、試験は一夜漬け、親への言い訳に平均点位は取っておくか、という程適当にやっていた。
親も親で「勉強しなさい」は口にするものの、多分他所の家庭よりは少ない頻度だったし、塾を強制することもなかった。我が子が言ってやるようなタイプではないと、早々に理解していたようだ。
そんな訳で、『やればできる子』というお決まりの台詞を言われつつ、学生時代を終えたのである。ついぞ『できる』ようになったことがない学生時代であった。


では勉強嫌い的に、何で学校を卒業してから勉強が楽しくなったのかを考えてみよう。

  • したくてするから楽しい
  • 途中で辞められるから気楽
  • 先生・環境が選べる

大まかにはこんなところ。学生時代は、これらの全てがなかったのだよね。そりゃあ、勉強が楽しくなかったのも当たり前だ。


◆ ◆ ◆

  • したくてするから楽しい

学生時代って、特に高校まではほとんど科目の選択権がないのだよね。好きな教科も嫌いな教科も、学校の定めるカリキュラムに従ってやらないといけない。
高校3年の時、大好きだった美術や音楽、体育の時間が全く――あるいはほとんど――削られてしまったのは、本当に悲しかった。代わりに『受験に必要な教科』の量がどっしりと増えて、小テストや学期末試験なんてもので、記憶力コンテストをやらされた。
学生時代の勉強は私にとって、『やりたくてする』ものではなく『やらされる』ものでしかなかったのである。
これってモチベーションにすごく関わると思う。
要領のいい子なら『勉強が楽しい→だからやる』っていう感じでうまく順応できるだろうけれど、私はどうしてもできなかった。というより、大半の子はできないだろう。

これが学校を卒業してからの自発的な勉強だと、『やりたい勉強』をできるのである。やりたいことをやっている時が一番楽しいのは当たり前で、しかも自主的に勉強を進められる。
こんなに楽しいことはない。

  • 途中でやめられるから気楽

学校の勉強って、基本的に途中でドロップアウトできない。どんなに数学の授業が苦痛でも、わからない所があって前の単元に戻りたくても、『皆と一緒の授業』を受け続けて試験である程度の成績を出さないと卒業できないシステムになっている。
例えば小学5年生が小学3年生の算数の授業だけ受け直したりっていうのは、まずできないことになっているのだよね。仮にできたとしても、『皆と同じ理解度になれない』ことは『落ちこぼれ』と見なされるから、やりたがらないだろうし。

数学は全然駄目だけれど美術が大好きですごくいい絵を描く子がいても、学校教育っていうのは数学も美術もやらせる。むしろ小中高と上がるにつれて美術の比重は小さくなっていく。美大でも行かない限り、美術は受験に関係しないから。

でも、色んな教科は深く掘り下げていくと結構底の方で繋がっているのだよね。だから一時的に数学を切り捨てて美術に力を向けても、美術をより深めるために数学が必要になるかも知れない(3Dとか建築とか)。なら、その時になってから改めて数学なりを勉強した方が、必要だし大好きな分野に関わっていることだからより深く身に付けられる可能性が高い。

だからどうしてもっていうのなら、『特定の教科をやめる』っていう選択肢があってもいいと思うのに、そうはいかないのが学校教育みたいだ。

  • 先生・環境が選べる

残念なことに、教育者として首を傾げるような教師はいる。それは人格だったり担当教科についての知識だったり色々だ。けれど、たまたまそんな教師に当たってしまった子は気の毒だと思う。少なくとも1年は我慢しないといけないし、それで勉強嫌いになってしまったら元も子もないからだ。チェンジ! と叫んでもそれはきかない。学校だから。

私の場合、最初に算数に躓いたのは『面積の公式』からだ。何故『底辺×高さ÷2=三角形の面積』となるのかどうしても納得できなかった。
それを教師に尋ねたところ、『何でも何も、そうなるんだから公式を覚えてそれに当てはめればいいだけ』というようなことを言われた。
子供なりに『何だかわからないけどそうなる』『覚えろ』ということに嫌悪感を覚え、以来公式と単純な暗記というものに大変な抵抗がある。

これが学校を卒業すると、自分の学ぶ環境は自分で選べる。教師が合わなければいくらでもチェンジ! と言えるし、そうできる。
良い先生に学ぶというのは大人でも子供でも本当に大切なことなのだけれど、学校だと運次第になってしまう。結構理不尽なのだよね。


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そんな訳で、勉強はやらなくてもいい時にするのが一番楽しいし身に付くのじゃないかなと思う。理由や目的もあって環境も選べるし、それにまずモチベーションから違う。

一方で学校教育の勉強だと、受験だとか試験のためとか、子供自身ではなくて大人が作って設定した目標なものだから、身が入りにくい。教える教師も環境も選べない。

子供の内はまんべんなく色々な教科を……というのは理解しなくもないけれど、明らかに素養のない子に、過重なプレッシャーと質の悪い教師でもって勉強させるのは、子供の才能の無駄ではなかろうか。
こうして勉強嫌いは作られるのだろう。


勉強は、自分で「やりたい!」と思った時にやると本当に楽しい。
だというのに、今の学校教育のあり方は、学生にとって実に気の毒だ。


以前、教育に関して育てやすい子、育てにくい子という記事を書いたのだけれど、『子供を伸ばす教育』って須らく手間がかかるのだよね。

でも勉強嫌いを作ってしまうような教育のあり方は、そろそろ考え直す必要がある。

第一社会に出るまでに何でもかんでもオールマイティにできるようにならなくても、必要だと思った時点で学べば間に合うものだ。むしろ社会に出てるなら、得意な人にやってもらうという方法もある。
自分で苦手なことや嫌いなことを学んで、何でもできるようになる必要はどこにもない。
足りないところは、人に手を貸してもらえばいいのだから。

学校教育って、何でも一通りできる人を作ろうとしている面もあるみたいだ。

ところが、何でもできる人ってすごいようだけど、突き詰めると広く浅くでリソースを喰われてしまってる。能力のある人がそういう才能の使い方をしているとしたら、すごくもったいないことなのでは?