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トワイライツ・ノーツ

日記と本と、時々Web

一人称と文体の迷宮

ブログを書き始めて少し経ったけれど、未だに文体や一人称について悩んでいる。
特に一人称の豊富さには目が回りそうだ。

ざっと思い付くところを挙げても、

  • わし
  • 我輩
  • おら

等々枚挙に暇がないし、同じ読みの一人称でも、漢字・平仮名・片仮名のどれを選択するかでかなり印象が異なってくる。

一応今使っている『私』は男女さえも関係なくオールマイティに使える一人称だけれど、印象的にちょっと硬い気もする。特に男性が使う場合、かなり公的というかビジネス文書向けな感じだ。


文体についても、どこまで崩していいものか試行錯誤している。
一応大まかな文体の種類は、

  • (1)ですます調
  • (2)だ・である調
  • (3)口語調

で、ブログや何かだとこれらが個々人の判断で、ひとつの文章の中に様々な割合で混ざりあっている。
例えば、以下同じ内容の文章をそれぞれの文体で書いてみる。

(1)ですます調
実は、私はピーマンが苦手です。どんなに細かく刻まれても、一欠けらでも口の中に入るとわかります。

(2)だ・である調
実は、私はピーマンが苦手である。どんなに細かく刻まれても、一欠けらでも口の中に入るとわかるのだ。

(3)口語調
実は、私、ピーマンが苦手なんだ。どんなに細かく刻まれても、一欠けらでも口の中に入るとわかっちゃうんだよねぇ。

どれも同じことを述べているのに、読み手に与える印象は大分異なる。
個人的な感じ方は、(1)は淡々と事実を述べているよう。(2)はそれに絡めた論説が始まりそう。(3)は親しみやすく、本当に『日記』という印象。
これで一人称の組み合わせを色々考えていくと、『一人称×文体=印象』と言っていい位の差がある。
うまく使えれば、可笑しみのある文章も組み立てられるけれど、それがとても難しい。


例えば上の文章をちょっと変えて、

実は、我輩はピーマンが苦手である。どんなに細かく刻まれても、一欠けらでも口の中に入るとわかるのだ。

という文章にすると、『偉そうな癖に、述べていることはピーマンが嫌いという実につまらないこと』というギャップが生まれて、ちょっと面白くなる。
文体と一人称と内容を積み重ねた結果が、その文章の『味』になると私は考えている。

そういう『味のある文章』を書けるようになることが理想なのだけれど、難しいのだよね。


◆ ◆ ◆


最初は『ですます調』も検討したけれど、私の筆力だとどうも論点がぼけそうなのでやめておいた。当たりが柔らかい分、それに引きずられて自分の文章の内容までも影響されてしまいそうなので。

かといって『だ・である調』は大仰で硬く、下手をすれば『上から目線』となってしまいそうなので、これはある程度『口語調』を加えて文体を崩していこうと四苦八苦中。問題は、どこまで崩すか、なのだけれど。


私は、文章や言葉は崩して何ぼだと思っている。言葉の乱れとか言うけれど、流行語とか新しい言葉は、結局そういうところから生まれてくるものだから。
今の私達は古典を勉強しなければ歴史的な文章を読めない。では古典文法の時代から、一切言葉が変化しない方が望ましかったのか?
それは違うと思う。
必要だから、言葉は変化していくのだ。


閑話休題


と、ここまで一人称や文体について考えてきて、現状の『私+だ・である調』はとても硬い文章だということに思い至った。
もう少し柔らかさを加えるために、『私×(だ・である調+口語調)』という感じを追求してみよう。
適当にこなれた文章が書けるようになるといいけれど。まだまだ手の届かぬ高みだ。

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