センスと整理整頓の共通点
暇人\(^o^)/速報 : 【画像あり】センスのある部屋とは何か - ライブドアブログ
http://blog.livedoor.jp/himasoku123/archives/51576366.html
というエントリーを見て、“センス”というものについて少し考えてみたことをさらっとまとめてみます。
元々インテリア雑誌が好きで、綺麗に纏まっている部屋には羨望じみた感情すら抱いていたのだけれど、もしかして“センス”ってこういうことではないだろうかと思うところがあったので。
綺麗に見える部屋の条件とは?
簡単に言えば、
- あるべき場所にあるべき物が纏まっている
- 家具や小物に統一感がある
という2点に行き着きます。
例を挙げるなら、テレビの周りに色鉛筆や爪切りが置いてある、部屋の主の趣味ではない家具がある、というのはNGです。
テレビの周りにはリモコンとDVDのみ、一人暮らしを始めた当初、間に合わせで買ったあまり好きではないデザインの家具を処分する、といったように。
常に“そこに置く必要があるものか?”“デザインが好みか?”ということを頭に置いておかないと、綺麗に見える部屋にするのはとても難しいようです。
好きなものを集めると統一感が出るか?
人が何かを“好き”という判断基準で集めると、ある程度の傾向が出るのは当然です。
ですが、それをただ漠然と並べても、それだけで統一感は出ないでしょう。
何故なら人間はある一面だけで成り立っているものではないからです。
レースが好きだからといって洋服でもカーテンでもレースに囲まれたい人ばかりではありませんし、赤が好きだけれど反対色の緑も好きという人だっているでしょう。
ロックな服が好きだけれど、音楽はクラッシックの方が好き、という人もいるかも知れません。
それら“好きなもの”に統一感を持たせるためには、ただ集めて並べるだけではいけないようです。
仮説その1“センス=整理能力”が大部分ではないだろうか?
全くばらばらな“好きなもの”に統一感を持たせるためには、“整理”するしかありません。
それはテレビの周りにはリモコンとDVDだけ、といったように“機能を考えて物を配置する”能力のことです。
つまり、“整理する力”が問われています。
例えば家具や小物のひとつひとつがどんなに素晴らしいデザインであろうとも、書斎机の上に便利だからといってマニキュアの小瓶を置いておくようなことだと、“片づけができていない”という烙印を捺されてしまいます。
仮説その2“整理能力=抽象度を上げる能力”ではないだろうか?
片付けが苦手な人というのはいますが(かくいう私も苦手です。だというのにこんなことを書くのは恐縮なのですが)、そういった人にどうも欠けているのが“抽象度を上げる”という能力ではないかな、と思い始めました。
(“抽象度を上げる”という言い回しが好きなのは苫米地英人氏だったと思うのですが氏とは少し捉え方が違うのかも知れません)
例えば先のテレビを考えるとして、“テレビ→映像を観る物”と一段階抽象的に考えます。
そうすると、“映像を観る物”というのをキーワードにして考えれば、そこに必要なものは“DVD→映像が録画されている物”、“リモコン→映像を切り替える物”になります。
恐らくですが整理整頓が得意な人というのは、無意識的か意識的かはわかりませんが、こういうことを頭に置いて、“あるべき物をあるべき場所へ配置している”のだと思います。
一方片付けが苦手な人は、テレビ周りに散らかった物だけを見て、これをどうしたらいいのだろう、という時点でもう思考がストップしてしまうのではないでしょうか。
センスがある、というのは整理能力が高いと言い換えられるのかも知れません。