トワイライツ・ノーツ

読書感想と自転車と雑記

冬の幸せについて

子供の頃から冬が好きです。一人暮らしをするようになってから、更に好きになりました。寒くて侘しくて寂しくて音すら凍るような真冬の深夜であればなお良いです。


夜道で一人、コートを着込んでマフラーに顔を埋めて、時たま吐いた息が白く流れるのを視界の端に満月を見上げると、何とも言えず落ち着いた心地良い気分になります。


“人は一人では生きられない”と言いますが、私は“人は常に孤独だ”と思います。頭の中で考えたことや感情は他の人にそのまま伝わったりしないし、“自分”という存在は肉体を隔てて大変もどかしいコミュニケーションを延々とやっていくしかありません。そのあまりのもどかしさに、時々自分は遠い遠い場所から肉体という端末を使っているんじゃないかという馬鹿げた気分にさえなります。


自分の考えていることが絶望的なまでに他の人にうまく伝えられなかったりすることもよくありますが、それでも他の方法がない以上、このもどかしい方法で世界と関わっていくしかないとも思っています。


大勢の友人に囲まれているような人でも、根本的な“孤独”は変わらないと思っています。他人を一から十まで理解するなんて到底不可能だし、もし万が一それが出来る人が存在するなら、私はあまりそばに寄りたくは無いです。何故なら、“自分の中”という最後の逃げ場すら無くなってしまうので。


なので、私は“人は常に孤独である”と同時に、“人には孤独が必要である”とも思うのです。他人は絶対見ることのできない場所は、最後の砦として確保しておきたいですから。


どちらかというと“かなり孤独が必要な人”寄りな私にとって、孤独を象徴するものが“冬の夜”なので、それが好きなのです。


一方で、もどかしいコミュニケーションの原因となっている肉体もそう悪いことばかりではなく、寒い日の温かい飲み物だとか、好きな音楽だとか、美味しい食べ物だとか、或いは誰かと繋いだ手の温もりだとか、そういうものを感じる時は、“幸せ”と言っていい感情が沸きます。そういう時は、“孤独”でかさついた気持ちが少し潤うような、そんな気がするのです。


という訳で、冬が大好きです。何だか他の季節より“孤独寄りになれる季節”だというのに、幸せな気持ちで過ごせます。たくさんの孤独と少しの幸せで、結局幸せの方が強く印象に残るというのだから、なかなか心の燃費の良い季節のようです。


逆に夏は、虫やその他の生物の息遣いや気配が濃密になるので、孤独を感じる以前に「騒がしいし暑いのは不愉快だし自分のローテンションぶりが目立つし苦手だから早く夏終わらないかな」とか考えてばかりの季節です。


最近は雪が降ったりと一段と寒いので、私の“幸せ度数”もうなぎのぼりとなりつつあります。早く次の冬が来ないかと待ち遠しくて仕方ありません。