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たそがれノート

日記と本と、時々Web

『うちらの世界』の外の残酷な話

雑記

「うちら」の世界|24時間残念営業

http://lkhjkljkljdkljl.hatenablog.com/entry/2013/08/06/155425


こちらを読みました。

ブクマでもちらっと『世間体』という言葉に触れたのですが、昔より『世間体』というのを気にしなくても良い時代になったこともあるのではないかなあ……ということを考えました。


母や祖母の世代を見ていると(現代においてもほぼインターネットは使っていないです)、その情報入手の方法は、テレビ・新聞・会話です。

特に会話――つまり地域の人や親戚などから得る情報がものすごく濃密なんです。更に、都会などと違ってまだまだ地域の人同士の繋がりというのが強いです。


そんな場所で、世間体を気にしない、傍若無人な行動を取ると、何が起こるか。

まず、あっという間に人から人へとその話が広まります。その行状が悪いと、直接関わったことがない人からでも、自然避けられがちになったりするんですよね。


さすがに現代社会ですから、品物を売ってくれない――なんてことまではありませんが、結構損をする場面も多いです。

どこそこの品物の良し悪しから、ちょっとした連絡ごと、地域のちょっとした慣わし(知らないと困ることも)などという地域の情報が入ってきませんし、それに人間関係が濃密な分、物をあげたりもらったりも多いのです。


例えば、お古の制服や服を譲ってもらったり、家庭菜園(結構やってる人が多いんです)の野菜をもらったり、個人商店で顔見知りにちょっとだけおまけしてもらったり、コネで何か紹介や融通をしてもらったり(縁故で入社など)……もちろん出す分もそれなりですけれど、そういう面で地域からの恩恵を受けにくいです。


また、そういう人付き合いを経てホンネとタテマエの使い方やマナーなど、生きる上での技能を学んでいく機会が多かったのだと思います。


もちろんそれが煩わしい、という人もいるでしょうが、それなら地域(特に田舎)に住むメリットは多くないですし、都会に住んだ方が便利ですす。


でも、過去の日本って割合そういう人付き合いをせざるを得なかったので、それが自然と『世間体を気にする』という形で良く言えば身勝手な振る舞いを抑制、悪く言えば縛っていた訳です。


ところが、今はインターネットがありますね。情報は溢れる程手に入りますし、地域情報もある程度のところまではカバーできます。

そうすると、別に煩わしい『世間』と関わる意味というのも段々薄れてきてしまいますよね。同じ嗜好を持った『うちら』で固まってしまう方が居心地が良くて楽ですし、自然と上で挙げたような生きる上での技能を学ぶ機会も少ない。


それと、もうひとつ気になることがありまして。



とはいえ、そういうものはかならずなんらかの制裁を与えられるのがこの日本の社会というものである。よくも悪くもそういうものだ。

――「うちら」の世界|24時間残念営業より


とあるのですが、その『制裁』すらうまくいかなくなるのではないかなあと。


どういうことかと言うと、


何かをやって炎上になったり逮捕をされた。

仕事をクビになった。

お金を請求されたり刑務所に入れられる。

個人情報や行いがいつまでもネット上に残り続ける。


実のところ、どれも一番下『個人情報や行いがいつまでもネット上に残り続ける』よりは怖くはないんです。

いつまでもいつまでも――『ああ、あいつか』と言われ、詮索され、何をどうやってもつきまとい続ける。


何というのか、懲役も含めた制裁は、『こういう罰を与えたので、これで罪を償ったと見なす』という一面もあると思うのですよ。名前や顔さえ過度に広まらなければ、その地域からは出ざるを得なくても、社会復帰の機会がきちんとあったはずです。

そこから先、自分の行いをどう省みるか、というのはまた別の話ですけれど。


でも、現代はテレビや新聞などの報道に加えインターネットというものがあり、事件の犯人や何かの騒動を引き起こした人の記録はいつまでも残り続けます。実名・顔の報道が規制されていないので、そういうデータが残り続ける訳です。


しかも、過去のことを振り返る、なんて客観的な視点が入ったものではなく、その当時リアルタイムで残されたものがそのままに。偏りも、感情も、何もかもが当時のものが残されたままです。


そうなると、地域を出ても――下手をすれば世界中、どこに行ってもそれはつきまといます。


それは、『制裁』を超えて『社会的抹殺』に等しいです。

もちろん、犯罪を繰り返す人や、凶悪事件ならまた話は別になりますけど(アメリカは性犯罪者の所在が常に明かされるところもあったような)、大抵の人はそうではないです。


また、本人は何もやっていなくても、根も葉も無い噂でずっと苦しめられる人もいますよね。


スマイリーキクチ中傷被害事件

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%83%9E%E3%82%A4%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%82%AD%E3%82%AF%E3%83%81%E4%B8%AD%E5%82%B7%E8%A2%AB%E5%AE%B3%E4%BA%8B%E4%BB%B6


こちらが特に有名でしょうか。また、痴漢冤罪などの冤罪事件も深刻です。


思うのは、情報の真偽をきちんと自分で確認すること自体にさほど重きをおかない、という人がかなりいるということ。

どういうことかと言うと、警察が発表したから、マスコミがこれだけ騒いでいるから、新聞に書いてあるから、ネットにこれだけ書いてあるから、もっと身近なところだとあの人が言っているから……で鵜呑みにしてしまう。

もっと言えば、そういった人々がその場ですぐリツイートなどで広めてしまい、かといって訂正することもないのでそのまま、ということがほとんどです。


インターネット普及前は、実名や顔の報道をしてもいずれ忘れ去られるか、広く共有する手段がなかったのでまだ良かったのでしょうが、今はそうもいきませんから、報道のあり方から考え直す必要が出てきたのだと思います。


また、迂闊にも個人情報をインターネット上に公開しているケースもありますし、この程度は大丈夫だろう、というところから辿られて身元が判明してしまうということも多いです。


一度失敗したり悪評を広められたら即社会的抹殺、が未来永劫(本人が死んだ後も)に渡って続くというのは、立ち直ったりやり直したりする機会も与えられないということで、便利になった反面、殺伐としたシビアな世界です。


『世間体』なんてどうでも良く、『うちらの世界』に閉じこもっている時はインターネットで『晒されている』ということの恐ろしさが実感できなくて、いざ結婚したり、子供を持ったり、仕事をしたり、誰かと関わったりで『うちらの世界』から足を踏み出した時に襲い掛かってくる――というのは何とも残酷で、救いのない話だと思うのです。