トワイライツ・ノーツ

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【映画感想】365日のシンプルライフ



365日のシンプルライフという映画を観てきました。

お話は、こんな感じです。


ヘルシンキ在住・26歳のペトリは、彼女にフラれたことをきっかけに、モノで溢れ返った自分の部屋にウンザリする。

ここには自分の幸せがないと感じたペトリは、

自分の持ちモノ全てをリセットする”実験”を決意する。


THE RULES

Rule1.自分の持ちモノ全てを倉庫に預ける

Rule2.1日に1個だけ倉庫から持って来る

Rule3.1年間、続ける

Rule4.1年間、何も買わない


映画『365日のシンプルライフ』オフィシャル・サイトより


少し前Twitterで見かけてから興味があり、他の予定との時間もちょうど良かったのでさっそく観てきました。

ドキュメンタリー風の映画で、監督兼主役のペトリさんは実際にこの『実験』を行ったそうです。


以下、映画を観た感想です。ネタバレがありますので注意。




淡々とした地味な映画ではあるけど、『シンプルライフ』には合っている

ドキュメンタリー風の映画ということで、全体を通して淡々としています。視覚的な一番の大事件は最初の方の全裸でヘルシンキの街を駆け抜けるところかも。

もちろん、他にもいくつか事件というのは起こっているのですが、それらは誰の日常にも起こりうることですので、やっぱり派手さというのはないです。


つまり……非常に地味な映画です。けれど、その地味さがタイトルのシンプルライフと通じるところがありました。シンプルライフを目指していると、生活が何だかなだらかな感じになっていくのです。



とはいえ、それだけに色々な受け取り方ができる映画かなという感想も持ちました。映画としては『自分もシンプルライフを目指したい! 』とモチベーションに繋がる人もいるでしょうし、反対に退屈に感じる人もいるでしょう。

けれど、『シンプルライフ』を主題に置くのであれば、こういう見せ方で良いのかなと思いました。




賛成してくれたのは、おばあちゃんだけ

弟からは『ばかげてる』。


友人たちからは、『確かに誰もがモノから解放されたがっている。でも、おまえのは逃避じゃないか?』と言われます。

更に途中、携帯電話を持っていない主人公に対し友人が『携帯を必要としないなんて、おまえは友達を大切にしてない』と喧嘩にまで発展する始末。


モノのないことより、コミュニケーションに問題が大きかったようです。

そんなことを言いながらも、弟や友人たちはペトリさんを手伝ってくれるのですが。



同世代の周囲がそういった反応の中、良いことだと手放しで応援してくれたのはペトリさんのおばあちゃんだけでした。

おばあちゃんは戦争を体験していた世代なので、モノがほとんどないところからのスタート。


『もちろん若い頃は無駄なモノだって買ったと思う』とおばあちゃんは言います。ただ、高齢ということもあって『モノは死んだ後まで持って行けない』ということを肌身で感じてもいます。


若い世代程批判的で、作中一番の高齢者のおばあちゃんが賛成、というのは象徴的でもあります。




幸福感の頭打ち

全裸からスタートした『実験』。

コートを寝袋として使う方法を編み出したり、服に身を包むこと、マットレスに身を横たえること……などなど、最初こそ『モノの量=幸福量』でした。


ですが、必要最低限のモノが揃うとその幸福感も頭打ちに。逆に、何も欲しくないという気持ちにさえなってしまいます。

 椅子は床に座るからいらない。椅子を持ち帰れば今度はテーブルが必要になる。靴下なんて履かなくてもいい。

この状態を、『モノへの反抗』とペトリさんは言います。


そんな様子を見ながら、私はこれって、やっぱりアレだろうなと思いました。モノを手放し過ぎた時の空虚感。必要最低限のモノは揃っているけれど、遊びがまったくない感じ。穏やかなんですが、穏やか過ぎるあの感じです。


必要最低限のモノが揃うまでは、要不要で考えれば良かったので、判断基準はシンプルなんですよね。

でも、自分がもっと幸せになるためにと考えると……非常に悩んでしまうところです。モノの量は幸福に比例しないことは身をもって体験しているだけに。


そういうった感じで停滞してしまうのですが、やがてペトリさんは立ち直り、釣り道具やレコードなど、楽しむために必要なモノを取り出していくようになります。




恋人ができて、葛藤が増える

途中、ペトリさんに恋人ができます。アウトドア派の彼女とデートするための自転車・キャンプ用品、台所用品、ベッド……などなど、諸々のモノが必要になってきます。


その恋人がペトリさんの実験に対してどういう感想を持っているのかは作中語られませんが、付き合うことになったので受け入れているのかも知れません。



恋人もいない単身だとこれまであまり問題はなかったのですが、『女性には頼れる男として接していた。そういう男でいるためにたくさんのモノを持っていた』 と、否が応でも『実験』によって恋人への接し方までも変わらざるを得なくなります。



また、恋人の家の冷蔵庫が壊れるという事件が発生してしまい、ここでもペトリさんは激しく悩むことになります(おばあちゃん、お母さんから『冷蔵庫は大事』と言われていたのをここで回収した形ですね)。

彼女自身は春までは冷蔵庫を買うことができないようです。


最初は冷蔵庫を修理してあげるつもりでしたが、残念ながら修理は不可能でした。物々交換サイトでも冷蔵庫はなし。


ここで、ペトリさんに突き付けられた選択肢はふたつ。買うか、無視するか。

買えば実験のルールを破ることになるし、無視すれば彼女が困っているのを放置することになります。


結局、おばあちゃんが施設に入るために家を引き払う際に冷蔵庫が手に入ったようです。冷蔵庫をていねいに掃除して、彼女のシールを貼りつけていたペトリさんが印象的でした。





終わりに "人生はモノでできてない"

始めに言った通り、非常に淡々とした映画です。

『エコ』という言葉もちらちら出てきます(手洗いより洗濯機の方がエコだとか)。


それに、モノはあくまでも倉庫に預けただけであって手放した訳ではないし、実験が終わった後、それらのモノがどうなったかは定かではありません。だから、少なくとも断捨離、モノを捨てる、捨てたい病などの技術的な意味での参考にはならないと思います(手元にはないけど倉庫にはあるって気持ちからして違いますし)。


シンプルライフに関して明確な答えを出している訳でもないし、『ペトリさん自身が幸せと感じること』を追い求めたものです。


最後の365日目、ペトリさんはおばあちゃんの家から何でも好きなモノを持って行っていいと言われ、『変なキャンディー』の入ったガラスの器を選びます。『おばあちゃんのモノって感じがする』という理由で。


以前のペトリさんなら……もっと実用的なモノをたくさん貰って帰ると思うので、 一年間の実験で大きく変わったようです。



という訳で、ここから何をどう受け取るか、というのは本当に人それぞれになりそうな映画です。


モノが少なくてすっきりした部屋にモチベーションを感じるかも知れないし、

ミニマリスト的な最初の方の生活に興奮するかも知れないし、

一番大事なのは人との関係だ、と共感するかも知れないし、

自分ならもっとうまくやれるだろうにと考えるかも知れません。



私の場合だと……モノ選びって、みっつの軸があるなあと感じました。


ひとつめは、生きていくのに必要なモノ。

ふたつめは、あれば便利なモノ。

みっつめは、幸せを感じさせてくれるモノ。


ひとつめはあまり迷う余地がないけれど、ふたつめとみっつめは、きちんと向き合って選びたいです。

しかし、モノばかり見ていないで、そうやってモノを選んだり手放したりしながらも、


人生はモノでできてない

という言葉を忘れないようにしたいと感じた映画でした。