ひとりで出かけたがらない人について
家族があまりひとりで出かけたがらないタイプです。
どういうことかというと……。
家族「○○行かない?」
私「んー……いいや、行かない。ひとりで行っといで」
家族「じゃあ行かない」
私「えっ。○○行きたいんじゃなかったの?」
家族「クイチが行かないなら行かない」
ということが多々ありまして……そういう風に行かないと言われると、何だかすごく悪いことをした気になってしまいます。はっきり言うとかなりのストレスです。
今回の記事ではその辺りを考えてみたいと思います。
じゃあ行かない、の何がそんなに嫌なのか
上でかなりのストレスと言いましたが、理由がいくつかあります。- 勝手に出かけるか出かけないかの決定役にされている
- 「じゃあ行かない」と言われると自分が断ったばかりに外出予定が取り消しになってしまったように感じてしまう
- そういうことが積み重なると、何故ひとりで行けないのかとイライラしてしまう
要するに、『行きたければひとりで行けばいいし、勝手に判断を投げないでくれ』ということです。
そもそも、何故ひとりで出かけたがらないのかがわからない
私自身がひとりで出かけるのが好きなタイプなせいか、理由がいまひとつ思い浮かびません。一応、何故ひとりで出かけたがらないのかと尋ねてみたことがあるのですが、「つまらないから」という返事でした。そこからどんなにつっこんでみても、『ひとりで出かける=つまらない』という図式以上のものが本人の口からは出ません。
本人はあまり意識していないようです。
という訳で、一緒に出掛けている時の家族の様子をつぶさに観察してみました。
誰かと会話することが好きなのではないか
無口な私と比べて、家族はかなり口数が多い方です。正直、私が返事をするのも億劫になる程喋っています(私の返事がうん、ふぅん、そう、へぇ、のループになっていることもしばしば……それでも気にせず喋り続けていますが)。もちろん出かけている最中も喋っています。
これ美味しいね、あの店ちょっと見たい、この服どう?……などなど。
ほとんど黙っている時間がないくらい喋り続けています。
それから、感想を共有することが好きなのではないかなーという印象も持ちました。
共有する対象については概ね何でもいいらしいです。服でも、お店でも、食べ物でも、雑貨でも。
つまり、何か思った時に喋れる相手が隣にいることが重要みたいです。
他人に対して気を遣うタイプ
上記のように、一緒に出かけている私に対してはひっきりなしに話しかけてくるのですが、お店の人と会話することはほとんどしません。また、「クイチと一緒だと入りにくかったお店に入れるから助かる」などということも言ったりします。
そして、友達と買い物に行くのは気を遣うらしいです。
家族は特に人見知りではないのですが(むしろ社交的な方です)、それだけに私にはわからないレベルで人に気を遣っているのかも知れません。
対して私だと、買い物するペースは大体一緒だし、ここ見たいと気軽に言えるし、2人だとちょっと入りにくいお店も入りやすい……ということで、そういう気遣いの必要がなくなって楽みたいです。
ひとりが恥ずかしいという訳ではなさそう
どうもそういうことではなさそうというのが個人的な所感です。どうしてもしたいことがあったらひとりでもお店に行くみたいですし。屈託なく「○○してきた! 」と報告してきます。
ただ、ひとりだとあまりご飯も美味しくないし、つまらない、とは言いますけど。
「○○行かない?」の前提が食い違っているのかも知れない
ここまで書いてきて思ったのですが、お互いの頭の中の前提がかなり食い違っているような気がします。私が「○○行かない?」というと十中八九くらいで家族はついてきます。
ちなみに断られても、「わかった出かけてくる」と私はそのまま行ってしまいます。返事に関わらず行きたいところにはひとりでも行くし、訊くのは『興味があればついてくる?』くらいのつもりだからです。
なので、私は「(ひとりでも行くつもりだけど)○○行かない?」だけれど、家族は「(ひとりじゃ出かけるの億劫だから)○○行かない?」なのかなあと。
どうも家族の場合は『ひとりで行く』という選択肢自体が頭にないみたいです。もちろん私が行く行かないに関わらず済まさなければいけない用事の場合はひとりでも出かけますが、かなり粘ります。
疑問がすっきりしましたが、だからといって『行く行かないの判断をこっちに投げてこないで欲しい』は思うので、この辺りは何とかしなくてはなあと考え中です。
十中八九ついてくるのも、そういう判断を投げられたように家族が感じてしまっているからかも知れませんし。
だとすると、これからはもしかして、「行く?」じゃなくて「行って来るよ」の方がいいのかも知れないなーという気もしました。