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パクリをするのは、『痛がりな人』


自らのパクツイをトレースだと言い張る自称イラストレーター兼自称アニメーター - Togetterまとめ

風邪を引いて、身体は風邪の症状フルコースでも頭は比較的暇を持て余していたためホッテントリやツイートを眺めていたらパクリまとめを見かけました。

正直、またこの手か……と思いつつさっくりと目を通したのですが、ああ、そっか、こういう人々は『楽したい』が必ずしもトップの目的ではなくて、『自分が傷つかずに自己顕示欲を満たしたい』のだなあ……ということに思いいたりました。

たくさんの人々に何と言われようと持論を覆さないのは、要するに『痛がり』だからに過ぎません。鈍いとか、頭が悪いとか、そういうことではないのです。
だから、たくさんの針が自分に向けられているのさえ見て見ないふりをして、持論にしがみついている訳で。唯一それが縋る先だと信じて、切れたロープを握りしめているような。

普段なら滅多にこんな気持ちにはならないタイプなのですが(そしてこういう言い方も好きではないのですが)あぁ、憐れだなぁ……という気分になりました。
それ以外に表現しようがない。
風邪で気分の振れ幅が大きくなっているのかも知れません。

 『何かを作る』というのは『痛いこと』の連続

例えば絵などで顕著ですが、最初は誰だって上手に描けないものです。デッサンひとつにしても、観察して、紙に筆を走らせて、見比べて、修正して――の繰り返しです。

ある程度上達したとしても、次は正解のない『個性』やら、他人からの評価、超現実的な『お金』『時間』という問題に入っていく訳で、何かを作っている以上、うまくいかなかったり、不満が残ったり、ということはままあることです。
特に他人からの評価、ということに関して言えば、一生懸命自分が作って良い出来だと思っても、評価が低い、あるいは人目にさえ触れるところまでいかない、ということはよくあります。

作るということは、そういう『痛いこと』が無数にあるのです。

その点、ある程度評価を受けている完成品を持ってくる、というのはその『痛いことの積み重ね』をまるっとスルーしていけるのですから、相当のストレスフリーとも言えます。

発表の『痛み』も平気。何故なら『自分が作ったものではない』から

どんなに完成度の高い素晴らしい作品であっても、世の中の人に『好み』というものがある以上、批判がゼロのものはないでしょう。
それは、パクった作品においても同様です。

仮にその作品にケチをつけられたとして……自分の作品ではないし、パクった作品が悪かったのだ、という逃げ道があります。

もうひとつは、『人気の作品なのに、批判してきたやつは見る目がない』です。

人からの注目が思ったより集まらなくても同様で、タイミングが悪かったとか、元々大したことのないものだったのだとか。

どこに傾くかはその人次第ですけど、何にしてもパクリをした本人のダメージにはなりませんよね。

人の作品ですごいね、と言われて嬉しい気持ち


なぜ彼らはパクるのか? パクツイ常習犯が語るTwitterの闇 - スマホの川流れ - Yahoo!スマホガイド

既にこちらのエントリーで触れられているのですが、『(見る目があって)すごいね』に脳内変換されていることが大きいのだと思います。

『人に認められる作品を見抜いた自分はすごい』『見る目がある』という。
一面では真実ですよね。それだけ人気のあるものを嗅ぎ付けた嗅覚は。

それに、人は誰しも人からスゴイとか面白い人と思われたいという気持ちがあるので、それが高じてあたかも本人のように振る舞い始めると……なりすましですよね。
これも本人が褒められているという訳ではないのですが、やっぱり『見る目がある』というのに脳内変換されている気がします。

あるいはパクリ元と自分を同一化しているか。要するに自他の区別がつかないタイプ。

そしてそういったパターンだけではなく、『パクリなのにこいつら喰いついてるよダセェwww』という思考でもってやっている人もいるかと思います。これも褒められれば褒められる程嬉しいパターンでしょう。

『作ることの楽しさ』は、人に認められることだけじゃない

自分もこうして文章を書いていたりするのですが、『作る』というのは確かにしんどいことだし辛いことです。

でも、『作り上げた』という達成感や、その途中のうまくいかないなどの『痛いこと』を解決できた時のすっきり感や、ひたすら没頭している時の感覚が研ぎ澄まされているような感覚とか――やはり、自分の手を動かして作ることでしか得られないものはたくさんあります。

それに、仮にそれが可能であったとしても、楽しいことしかないのはいかにも単調です。痛いことがあるからこそ、楽しいことがさらに楽しく感じるのです。

制作中は『もう嫌だ、二度とやらない』と思っていても、また気づけば手を動かして作っている人々が多いのは、やはりそこに楽しさがあるからです。


もちろん、作ったものを褒められて悪い気はしないですし、お金が手に入ることもあるでしょう。それを作る目的にすること自体を、私は否定はしません。

でも、一番上でのリンク先に限らず、『作る楽しさ』を知らず、ただ承認欲求やお金という欲を満たすために他人の作品をパクリ続け、たくさんの針を向けられていることや評価されているのは自分ではないことからも目を逸らし、切れたロープにしがみついている姿は、何だか憐れな気分になってしまうのです。