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外食で一口サイズのものがあればいいのに、と思う訳

一口ちょうだい♡どう思います? | ガールズちゃんねる - Girls Channel -

最近、「ハーフサイズ……いや、4分の1……いや、一口サイズのものがあればいいのに……」ということが増えました。理由としては、色々な味を試してみたいというのが大きいのですが、お腹の容量的にもそれくらいで充分、ということが結構あることに気がついたからです。

小腹が空いた、くらいの半端な時など。しっかりご飯を食べる予定はあるけど、少しだけ何か口に入れておきたい時ってあるのです。

昔は上のリンクのようにシェアすることを「取られる」「自分はこれを丸々食べきりたいのに!」と感じていたのですが、人は変わるものです。

色々食べてみたいのに、食事回数も量も有限

明らかに20代前半の頃よりも食べる量は減っています。多少無理すれば入りますけど、胃袋が悲鳴を上げる程詰め込んでもそこまでは美味しく感じません。

そして一人で食事をすると、一人前でかなりお腹がいっぱいなので、サイドメニューは諦めざるを得ないことが多々あります。そういう訳で、気になるメニューがあるお店は人を誘って行くこともよくあります。

一人前の食事の他にサイドメニューもひとつ、はかなり苦しいですが、サイドメニュー半分ずつをシェアするくらいならできるからです。

なので、基本的に一人で食事するお店(勤務中のランチとか)では「これ食べてみたいんだけどお腹がいっぱい……」と横目でチラチラしていることが多いです。

単純に味見をしたいだけのことが多い

ピザはありがたいことにハーフ&ハーフをしてくれるお店もあるのですが、それ以外では意外とないんですよね、ハーフサイズ。あってもお子様サイズくらいで。
4分の1サイズや一口サイズともなると皆無といっていいかも知れません(デザートはプチサイズとかもありますが)。

だから、『お好きなものを組み合わせで』というセットメニューは結構嬉しいです。でも、欲を言えば一口100円とかでも良いので、味見用に一口サイズのものがあれば嬉しいんだけど……と思います。基本昼食は一人なので。

あと、一口食べて「これは苦手」とか「次回これをしっかり一人前食べたい」とか、そういう判断材料にもしたい。基本的に魚介類や動物性の臭み、強い臭いの食品がダメなので食事を頼む時はかなり慎重です。

それに加え、一人前丸々頼んで食べきれない、というのは『頼んだものは責任持って食べること』という教育方針だった*1ので、すごく罪悪感もあるし何より勿体無いのでなるべくしたくないのです。

余談その1:シェアする時は人を見る

私自身は最近食事の量も減ってきたことや、『最初の数口が一番美味しい』ということを実感するようになってきたので、シェアすることにあまり抵抗はないです。

とは言っても、親しくない人とはしたくないですが……あと少しと言いつつガバッと取られるのも「えっ……」となります。

家族や、シェアを嫌がらない親しい人とは普通にシェアしています。

職場の同僚、くらいの距離感の人との場合は相手を見ます。
私が食べてる物に興味がありそうなら、お互い食器や料理が綺麗な内に「良かったら食べますか?」と聞いてみることもありますが、基本はしないです。

シェアが嫌いな人もいることは承知しているので、そんな人のためにも味見用サイズのもの、あればいいのになと思うのです。

初めて会った人や親しくない相手の時はまず自分からは言い出しません。ちょうだい、と言われたらあげますが。

大体そんな具合です。

余談その2:実は『ちょうだい』より『あげる』の方が苦手

前述の通り、苦手な物が結構あるので『あげる』と言われると困ることが結構あります。それ、苦手なんだけど……という場合です。大体『お腹いっぱいになってきたから』とかわしています*2

あとは『食べきれないから食べて』も苦手です。

親しい人なら相手の食事量も考慮して調整しているので大丈夫なのですが、そうでない場合はこちらもある程度お腹が膨れている状態なので、そこに更に物を詰め込むのが辛いという事情もあります。

世の中には小食の人もいますし、料理をシェアせず食べたい人もいます。
それに、いつも計算通りに食事が食べきれる訳ではないのは承知しています。

なので、色々調整できるようにハーフサイズとか4分の1サイズとか、味見用の一口サイズが充実すれば良いのになあと、そんなことを思うのです。

*1:そうはいっても量が極端に多かったり、味が濃過ぎたりどうしても不味いという時は残す許可が出ることもあったので、そこまで厳しいということはない。

*2:『苦手』と言わないのは、「これ美味しいから食べられるかもよ!」と更にすすめられるということがあるから。筆者がこれまで見てきた傾向として、『嫌いな物を克服させること』になぜか使命感らしきものを感じている人が一定数いるのである。