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トワイライツ・ノーツ

日記と本と、時々Web

【書評】中学なんて忘れたい

中学なんて忘れたい

誰にでも厨二病の頃ってありますよね。自意識過剰で、その癖大真面目に哲学的なことを考えてみたかと思えば自分探しをしてみたり、なんか設定を考えてみたり、キャラに憧れてみたり……。

そんな中学生時代がメインの、かくれんぼ戦略のとりさんのエッセイです。

以下書評です。

 黒歴史の宝庫・中学生時代

自分がどんな子供だったか、を思い出すのはなかなか難しいことです。それでなくとも大人になればどんどん色んな記憶が増えてきて子供の頃の記憶は脳みその底の方にいきがちですし、ましてや思春期、中学生時代の記憶なんて、むしろ底の方に沈んで二度と浮かび上がらなければいいのに、と思う人は少なくないのではないでしょうか。

実際語りたがる人の少ないこの話題、とりさんがエッセイを出していたのでおっ、と思って読んでみました。

散見される不可思議な行動

なぜかそのうち、私は机の上に座って音楽を聞くようになりました。

意味がわかりません。とにかく、イスに座って普通の聞き方をするのが嫌だった。

その他、クローゼットに閉じこもって夢殿ごっこ。

クローゼットにトラップを仕掛ける。

幼児退行、四つ足で歩く、本を読むことでの優越感、性別に対してのもやもや、男というものへの憎しみ、流血への興味、自分さがし……などなど。

赤裸々です。私の心までえぐれてきます。

愛とは、性とはで悩む時期

「べ、別に愛なんていらないし」と言いつつも気になってしょうがない愛。愛とは。愛とは何。

そんなことも悩んだようです。私も昔は愛なんて大仰過ぎだし恥ずかしい、と思ってました。その言葉から感じるなんともいえず、あつくるしいピンク色っぽい圧力!

性別への煩わしさとかも、わかります。生理とか、出産の痛みとか、身体の作り的に仕方ないとはいえ、女性の方が負担大きくない? ……とは今でも考えてしまいます。あまり女の子的にも見られたくなかったような気もします。といって別に男の子になりたかった訳でもないし、なんなのでしょうか、あの中性というよりは無性への憧れは。

ごく一時期(小4か小5か小6の頃)は親切にしてくれた男子にわざわざ「男性不信症なので近寄って欲しくない」と言って怒らせたこともありました。……ちょうど痴漢に遭った頃でして、自分の身体を勝手にそういう対象にされてとにかく気色悪かった訳です。確か。それにしたってひどいと頭を抱えたくなりました。

今となっては人生で何回言えるかわからないし、ということでたまに「愛してるよ」とか言いますし、少なくとも見た目は女性なのでしょうがないと思うようになったし、男性のほとんどはおおむね自制心はある……となりましたけど。

たぶん、通過儀礼的なものであり、精神の安定に必要な時期

エッセイを読んで考えたのは、これらの不可解とも言える行動・衝動の原動力ってなんだろう、ということでした。とりさんのそれらの数々を読んでいると、とにかく何らかの衝動につきうごかされており、それが精神の安定に一役買っているのではと感じます。

とにかく精神的にも肉体的にも不安定なころで、精神の安定のためにそれらの行動が必要な面は、確かにあったなあと自分の記憶を掘り返してみても思うのです。

無根拠な優越感があるかと思えば、劣等感もあり、しかも影響されやすく、幼児ほど単純な思考で生活している訳でもなく、大人特有の惰性とかそういったものもない。

思い返せば赤面してしまう記憶のひとつやふたつやみっつは必ずある時代。

しかし、

どれほどアホだったとしても、あの頃の自分が、現在の自分の根っこにいる

という部分には同意で、どんなに恥ずかしくても自分というものを形成する時期として外せない。誰の胸の中にもある、輝きつつ、けれどできたら普段はしまっておきたい、そんなころのエッセイです。

読んだらうんうんとうなずいたり、恥ずかしくなったり、色々反応がわかれる本ではないでしょうか。

余談その1:酒鬼薔薇聖斗の話

記憶にありますし、テレビでものすごく大きく騒がれていた事件でした*1

エッセイの中で事件に影響された男子の話や、新聞の投書欄に中学生の頃は流血に憧れ、酒鬼薔薇聖斗はそれが行き過ぎてしまったのではないかと載っていて腑に落ちた話も出てきています。

最近犯人の元少年名義で手記も出たのは記憶に新しいです。

余談その2:私の厨二病は小学校4~6年がピーク

とりさんのエッセイを読みながら自分の記憶を掘り返したのですが、ピークは小学校4~6年の頃でした。なぜか早かったのです。この時期に結構あれこれやった記憶がありますが、中学以降、特に中学2年生以降はすっかりなりを潜めてます。

中学生の頃はなぜか女の子にほんのちょっぴりだけモテていました。特に少年っぽいということもキリっとした見た目ということもなかったので、今思い返すと謎です。体重軽めの女の子ならお姫様だっこできましたが、だからという訳ではないでしょうし。今は無理です。

ちなみに16歳になったら自動的に彼氏なるものができると思っていました。完全に少女漫画の影響だし、そんなこともなかったです。

中学以降は引越しその他の環境変化が激しく、それどころではなかったようです。そういう意味では、なんだか一般的な厨二病のステップをあまり踏まずにきてしまっているかも知れません。

中学・高校では小説を書いていたくらいでしょうか。といっても二次創作ではなかったのですが。自分が萌える設定を思いついてはガリガリ書いていました。手書きで。よくやったものです。歌も歌っていましたね。友達と掃除しながらハモったり、小説や漫画の貸し合いをしたり。

中学時代から高校までは早く大人になりたいなあとばかり思ってました。ままならないことが多すぎて、世の中は不公平だとヒネていたようです。その一方で大人になって自由になったら、息苦しさがなんとかなるんじゃないかなと、大人というものに強い憧れを抱いていました。

実際、大人になってもあのころ憧れていた程自由ではないです。しかし、自分で自分の面倒さえ見ることができるのであれば、ある程度の部分は決めることができる訳で、大人っていいですよね。嫌なことはやめるとか。

子供の頃に戻りたいかと言われれば、Noです。高校時代ならYESですが。もうちょっと別の進路を選んでみても良かったかなというところはあるので。

やっぱり思い出してみても、人生の中で一番不可思議な思考をしていて、かつ可能性とか生命力のある時期だったなあと思います。

中学なんて忘れたい
中学なんて忘れたい
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*1:しかしその頃の私は特別異常な事件とは思っていなかった。というのも、「人を殺す時点で異常なのだから、異常な事件だと言われても……」と ピンとこなかったため。異常の中の異常ってなんだ、と考えた記憶がかすかにある。中学生という報道がされてもあまりその印象は変わらず、人を殺す人は何歳だって殺すんだなと考えた程度。大人になった現在は、『殺人=異常or特別』ではなく、過失や事故、あるいはごく普通の人がなにかの拍子に一線を飛び越えてしまった結果、そうなってしまったことが多いのだろう、という風に感じている。

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