私のタラレバは自分の能力値を上げられなかったこと
今週のお題「私のタラレバ」に上げようと思って書き出していたのですがうっかりしていて間に合わなかったため遅ればせながら。
タラレバについて考えてみても、これといったことが思いつかなかったのですがたとえばそれは、
- ●●を勉強しておけばよかった
- 転んで歯を折りかけたのだが足元をよく見ておけば良かった
程度なもので、人生を変えたいというよりは今の自分の能力値を上げたいという方向のものばかりでした。
というのは私は様々な事情であまり人生の重要な分岐点での選択肢が多くなく、そんな中でも思い返せばベストではないにしてもベターな選択をしてきた方かなあ……と思うからです。
またそうでなくても、『あのときああしていれば』というほどの出来事をほぼ経験していないのは、まずまず幸運な方です。
という訳で大体の選択においては同じ状況に置かれればたぶん分岐点に戻れたとしても同じ方を選ぶでしょうが、それ以外、自身の能力値についてはタラレバが結構多いです。
能力値を上げられなかった子供時代
三十路にもなると大体自身の伸びにくい能力、逆に伸びやすい能力については把握できるようになってきますが、その観点からいくともうちょっといけただろうと思われることがかなりあるのですよね。
概ね学校の勉強についてなのですが、私はあまり成績の良い方ではありませんでした。
たとえば数学など、他の子たちが当たり前のように公式を覚えて問題を解いていく中で、一体全体なぜこの公式で答えが導き出されるのか、そしてこの公式は現実世界で一体なにに使えるのか……それらが気になって仕方がないのに授業はどんどん先に進んでしまう……という状況に置かれていたためです。
納得できるまで次に進めない、そういうタイプのため、正直学校教育を受けるのに向いている方ではなかった*1と思います。
当時は周りが当たり前のようにできていることをなぜ自分は同じようにできないのか、とそれなりに悩んで落ち込んでいたりもしましたが、今振り返れば『教育方法が合わなかった』というだけの話で教師も私も悪い訳ではないです。
もし今の記憶を持ったまま子供の頃に戻れたら、自分に向く方法がある程度はわかるので、能力値は今より上げられたのではないかなあと。そう考えると、せっかく頭も身体も柔らかい時期に惜しいことをしてしまったなあと思う訳です。
悩む割に変な部分は素直に受け入れてしまう私は、学校の教育はそういうものだと認識していたため、自分でどうにかできるとは考えもつかなかった。そのあたりが私のタラレバです。
人生は小さなことの積み重ねで変わる
上記でタラレバを述べましたが、人生が変わるきっかけというのは劇的なことというのは少なくて、積み重ねた能力値の違いとか日々の過ごし方で変わる部分の方がずっと多いように思います。
私の場合でも能力値が上がっていればまた別の道もあったと思います。仮に英語が得意で、そういう世界があると知っていれば、自分に合う教育方法を日本の学校以外に求めることもできたかも知れません。
今を後悔している訳ではないし、先に述べた通りベターな選択はできたと思うのですが、自分というものを使いきれてないところには後悔が残ります。
ただ、最近はそういう心残りを死ぬまでに可能な限りつぶしていこうとあれこれやっていたりするので*2、今からでもなにも遅いことはないかなあとも実感しています。
子供時代よりは上がり幅は多くないかも知れないですが、今からでもやればそこそこのものにはなるんじゃないかなと楽観的に考えています。