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十年残るものがない世界の憂鬱。Web業界に疲れたときの処方箋。

Web制作の世界に足を踏み入れて5年目になりました。
しかし仕事をしながら、憂鬱な気分にもなることもあります。

一体なぜそんな気分になるのか、そしてそんなときの個人的な処方箋について。

十年残るものがない世界の憂鬱

Web業界の場合、手掛けた制作物は十年後にはほとんど存在していません。

Web制作の仕事は非常に回転が早く、技術やトレンドも次々と新しいものが出てくるため、作ったサイトはほとんどが5~6年程でリニューアルされます。
私も実際、いくつかのサイトを新規制作したり、リニューアル案件を担当・実装しています。

どれだけ一生懸命作っても、サイトは5~6年――短いときには数か月で『リニューアル』や『消えて』しまうことがほとんど。
そのため仕事をしていても、形となって積み上げたり実績となっている実感が薄い、というのは特筆すべきことではないでしょうか。
仮にリニューアルがなかったとしても、10年以上持つ企業やサービスは少ないため、サイトそのものが消えてしまっている可能性も高い。

忌憚のないことを言えば、Web制作業界は変化を楽しんだり、新しいことをどんどん勉強して試せる――そういったことにモチベーションを感じるタイプの人でないと、仕事を続けることが難しい業界ではあると思います。

ただ、これは別にWeb制作に限らない傾向ではあります。
変わらないペースで、ルーチンワークで回せる仕事――というのは少なくなってきてしまいました。

制作物の消費スパンはどんどん短くなっている

コンテンツも、物も、昔に比べると消費されるスパンが格段に短くなっています。

私が生まれた頃には車やテレビ、固定電話は当たり前にあったのですが、まだ比較的に手作業やローカルな部分は多く残っていました。
しかしポケベルやPHS(携帯電話の前身のようなもの)が登場し出した頃から色々なことが加速し始め、特にインターネットが登場して以来の変化の速度は目を瞠るほどです。

自分の立っている場所、目指したい場所もどんどん変わる

世の中の移り変わるスピードは速くて、でも長く形に残るものはなくて――自分の立っている場所がよくわからなくなって息切れしてしまうこともあります。
何故なら、立っている場所も、目指す場所さえも、どんどん変化してしまうからです。

そういった中で手元に残るものといえば、最終的には経験と人との繋がりと私は考えています。

以前はできなかったことができるようになった。
新しい知り合いが増えた。
仕事をもらう先が変わった。
手元に入るお金に変化があった。
……

大きなことから小さなことまで、手を動かし続けていればなにかしら変化は起こっているはずです。

しかし制作物として長く形に残る仕事ではない都合上、変化や向上を意識しづらいという問題はあります。
その上、移り変わるスピードが速すぎて、ゆっくり立ち止まって考えることもできないことも多いです。

実際、業務上必要なことを急ピッチで勉強しなければならなかったりで、休み中も気が休まらないことがかなり。

Web業界は刺激的だし移り変わりが本当に早いのは良いところでもあります。
けれどそれは常に走り続けるのと同義ですから、ときどき疲れたな、と感じてしまうことは仕方がないところだと考えています。

Web業界に疲れたときの処方箋

  • 作ったサイトのソースコードやデザインカンプ、書類を保管しておくこと。
  • 数行でいいので、簡単に日記のような記録を付けておくこと。

Web業界に入ったら、できればすぐにこれをやっておくことをおすすめします。

上述したように、実際のWebサイトはいつ消えたりリニューアルがかかるかわからないため、過去を参照する術が無くなってしまいやすいからです。

過去の制作物を手元で参照できれば、その当時からどのくらい進歩したのかわかりやすいし、記録をつけていればなにを思っていたのか、なにをしていたのかを思い出す手掛かりになります。

一番良くないのは、疲れと自分の進歩がわからないことがセットになってしまうことです。モチベーションを下げてしまう要因になり得ます。

自分の進歩をはかるのに、他人といくら比較しても意味はほとんどありません。環境も能力も違うものを比較しても、判断はうまくできないでしょう。

残念ながら激務の職場はまだある

Web業界の労働状況は、以前はかなり激務でした。現在もそういうところはまだあります。

本当に疲れた、と感じるのなら環境を変えるか、お休みしてもいいと思います。
走り続けた分、充電を必要とすることもあるでしょうし、環境を変えれば改善が見込めることもあるでしょう。

徐々にWeb制作業界の労働状況は変わってきているようですが、仕事の性質上まだまだ改善に時間がかかる部分は大きいです。
離れるという選択肢もある、ということを忘れないこともまた、大切な処方箋になり得ると思います。

包丁を振り下ろす決定権が、相手にあることを忘れてはいけない

Hagexさんが刺殺されたという事件を受けて、様々な人が色々なことを書いています。

www.asahi.com

Hagexさんや容疑者について、私は語るべきことを持ちません。
ただ事件を知った際、私が一番初めに思ったことは、『怖い』ということでした。

インターネット上の発言は、コントロールがきかないことが多い

インターネットで発言している以上、その言葉は一体誰が見聞きするのか、コントロールの及ぶところではありません。
自分の発言が一体誰にどう受け取られるのか――そして、受け取った結果どういう行動に出るのかは相手が決定権を持っている、という当たり前のことを思い出しました。

たとえば、対面であれば多少はコントロールがきくこともあるけれど、対面で話しているのであれば、相手の声色や表情などのたくさんの情報から『これ以上は怒らせるかも知れない』というラインに気づくことは可能かも知れません。

また、相手の反応を見て物の言い方を変えたり――きつい言葉を表情や仕草で少し和らげたりということもできるでしょう。

誤解が生じそうな気配を感じたら言葉を足したり、より詳しく説明したりということも可能です。

ましてや――相手が刃物を持っていたら、間違っても怒らせようなんてことはしないはずです。
目の前にちらつく物理的な刃物はそれくらいの圧力を持っています。

だからといって、Hagexさんが不注意だったとは私は言えません。対面と異なり、インターネット上では読み手の情報を得たり、相手の様子を見ながらの調節はまず不可能だからです。

自衛はおそらく無理だったと思う

今回の事件は、気をつけること自体が無理だったように思います。
インターネット上での発言は基本的に読み手の情報を得ることも、言い方を人に合わせて調整することもできません。

自分の発言が一体誰にどう受け取られるかわからないし、その結果相手がどういった行動に出るかも予測は無理です。
価値観の違い、誤読・誤解、前提や環境の違い……など地雷は枚挙に暇がありません。

Hagexさんのように講演活動を行うのであれば、登壇情報を事前に明かさないということはまず無理ですし、自衛も難しかったと思います。

人間の楽観主義の功罪

大抵の人は自分が刺される程憎まれているかも知れないなんて、常日頃から考えてはいないはずです。
常にそんなことを考えていたら、何もできませんから、それは機能としては必要な楽観性です。

しかしインターネットで愚痴を吐いたり、リアルの顔見知りには言えないことを口にしてしまったりやってしまった経験は、誰しもあるのではないでしょうか。

元々インターネットに自由や匿名性などなく、本来リアル以上に注意深く振る舞う必要がある世界なのですが――大多数の人はそういった意識はないように感じます。
今でもインターネットは匿名で、個別のメッセージなどは見られないと考えている人は多いようですが、やりとりはすべて記録として残ります。
そして発言は、一体誰に届くのかわかりません。

闇雲にインターネットを恐れたり、やはりリアルの方が良い、と言うつもりは毛頭ありません。
けれど、包丁を振り下ろす決定権が相手にあることを忘れてはいけない、ということをひんやりと感じた事件でした。

またひとつ歳を取ったので

別に何でもない平日が誕生日だと、さほど特別なことをするということもなく気が向けばちょっとした好物を買ったり本を買ったりする程度で、大人になってからの誕生日というのはまあそこまで代わり映えのするものではありません。
唯一昨年と違う点は長年つきあっていた人がもう隣にいない、ということくらいでそれ以外は本当に変化もなく。

とはいえ、一年歳を取れば一年寿命に近づいているとも言い換えられるなあ、と会社帰りにカフェに寄って手帳を開きながらぼんやりと思ったのでした。

note.mu

noteでこんな記事を書いたのですが、リストにあることを全部やるのはさすがに無理として、大きなところは死ぬまでにぜひやっておきたいなということで一番大きなものをピックアップしてみました。

■死ぬまでにやりたい一番大きなこと
海外で生活してみる

日本は嫌いではないのですが、死ぬまでに一度くらい外の国で生活してみたいな、とは思い続けています。なかなか機会に恵まれないのですが……。
希望としては湿気が少なくて英語が通じて、気候が涼しいところ……というざっくりな感じです。

とりあえず、ちょっとさぼり気味だった英語の勉強を再開しました。