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【書評】モノを捨てよ、散歩に出よう

モノを捨てよ、散歩に出よう

かくれんぼ戦略というブログを愛読させていただいています。

モノが少ない部屋というのに憧れ始めた時に知ったブログでして、読みやすく、さくさくとした文章が小気味良いです。

 

その方がKindle本の書評を書いているだけでなく、捨てたい病についてのエッセイ、『モノを捨てよ、散歩に出よう』を出しているとのことなので、ついに手持ちのiPodKindleアプリを入れて購入しました。

 

読んだ結果ちょっと面白い手触りだったなあということで以下書評です。

 

 

 

捨てる快感について

自分の周りから余計なものを捨て去る快感。自己満足なのだ。でも、気持ちいいのだ。
モノが減ってすっきりしたし、今後の掃除の手間も減ったし、これまた快感なのだった。

わかるわかる、とうなずきました。

私もあれこれ処分しましたが、身軽になっていくって本当に気分が良いことで。掃除が楽になったり部屋がすっきりするというのも、目に見えることなのでわかりやすい快感です。

 

ここまで目に見えて変化が出ることって、日常生活であまりないのではないかとも思います。 夜中に押入れをひっくり返すというのも同じく経験があります。何だか変にハイになるんですよね。

 

 

捨てられない母との関係

断捨離とか片付け本を読んでいると、捨てられない家族というのが結構出てきます(あるいは依頼人とか)。 片付けたいと願う本人は比較的変わる余地があるのですが、当然ながら他人は簡単に変えられません。

それらの本はハウツー本ということもあって、ある程度の『解決』『緩和』まで述べられていることがほとんどです。

でも、この本の作者さんと母親の場合、そこまで至ってはいません。

 

片付けられない母親は変わらないし、作者さんは四畳半の自分の部屋を小さな聖域として家の中の侵蝕から守っている。

そもそも、『解決』『緩和』を目指す段階は既に通り過ぎているのかも知れません。

 

ひとつ屋根の下、片付けられない母親に困ってはいるけれど、

 

母のことはとても好きだし、面白くて楽しい人だと思っているのだが、誰しも欠点や弱点はあるものだ。残念ながら、母は片づけができない人であり、今さら片づけができるようになろうとも思っていないふしがある。 

と本の中で語っている通り、一歩離れたスタンスで母親を見ています。特に一緒に暮らしている人に対して、こういう視点になるのはなかなか難しいことだと私は思うのです。この作者さんの家の場合、ゴキブリが出る、食べ物が腐る、人を家に呼ぶのが難事業、というわかりやすい実害を被っているのだから、なおさら。

 

それに文章の形に残すとなると、なおさら少しは話を盛ったり、何らかの進展を見せたくなるのも人情だと思うのですが、それもない。

 

温度のない、面白い手触りの分析だなあと。

 

 

憧れの人・部屋

スナフキン綾波レイの部屋に憧れている、とあって、ああ、それもわかるとうなずきました。

スナフキンは旅から旅へ、とても身軽だし、綾波レイの部屋は本当にほぼ必要最小限のものしかない。一方はリュックサックひとつで旅に、一方はコンクリート打ちっぱなしの、空虚な部屋。

 

あれくらい身軽に、そして必要最低限のものしかない部屋になったらどれだけ楽だろうと思うのです。

 

とはいえ、綾波レイの部屋についての見解は私は少し違うものがあります。 そんな部屋の中にも、碇ゲンドウの眼鏡があって、綾波レイはそれをとても大切にしているんですよね。

たったひとつだけある、綾波レイにとっては本来不要な眼鏡。他の何が無くても、それが手元にあるだけで彼女は幸せなのだろうし、どれだけモノを捨て去ってもそういうものは誰しもあるのでは、と感じるのです。

 

 

 

モノを捨てたその先

モノを捨てていく中で感じた空虚さにというものに触れています。

作者さんは、自身の最大の趣味の読書を『モノが増えるから』とどんどん削っていく中で、

 

自分の好きだったことが、どうでもよくなってしまう。他に何か、好きなものを見つけることもできない。そんな状態が続くと、ぼんやりしてしまって元気が出ない。私がモノを捨て去ることで望んでいたのは、こんなことだったのだろうか。そんな思いも芽生える。

という状態に陥ってしまいます。やがてKindle本と出会うことで、読書と捨てたい病の折り合いをつけることができ、楽しみを取り戻していくのですが。

読書が、作者さんにとっての碇ゲンドウの眼鏡なんだろうなと。

 

 

他、いわゆる思い出の品(アルバムや写真)への執着のなさにも触れられています。

嫌な思い出よりもどうでもいい思い出の方がもっと悪いし、嫌なものもどうでもいいものも手放してしまえばいい。どころか、素敵な思い出にまつわる写真でさえも、いざとなれば捨ててしまうだろう、とあります。

作者さん自身も、こんなに執着がないのはなぜだろう、自分も親しい人が突然いなくなったら写真を手元に残しておきたくなるのか、と首を傾げている風情です。

 

思うに、作者さんにとっては写真を残しておくメリットが、手放すメリットを明らかに下回っているのではないかなあと。その理由が、『写真を見る度に想起される記憶』というものが重たく感じるせいなのか、写真を見返して思い出に浸る頻度が少ないからなのか、もっと別の理由があるのかはわかりませんが……。

 

 

また、ここまでモノを手放してきたのと相反するように、ネット上に足跡を残している矛盾を意識しながら生活をしているとあります。

確かに、減らしたいと思う一方でネットに足跡を残すのは、私もこうしてやっていますが不思議な感じ。

 

 

 

散歩をしよう

モノを捨てたら、散歩に出かけよう。
モノがなくても、ささやかな楽しみはそのへんに落ちている。

タイトルにもなっている『散歩』ですけれど、この辺りを読みながら、このエッセイの主題はそういうことなんだろうなあと。

 

ハウツー本はうんざりだし、他人は変えられないし、自分でさえもまだ変わるかも知れないけど、ささやかな楽しみを見つけられる、楽ちんで満たされた生活。

 

私にとって「捨てよう! 」と劇的にモチベーションを掻き立てられるタイプのエッセイではないし、捨てたい病の本によくあるハウツー本や劇的ビフォーアフターのような本ではありません。

でも、ちょっと散歩に出ながら足元のちょっとした宝物を「ほら、ここ」と教えてもらえたような、そんな本でした。

 

 

 

余談ですが

Kindleアプリ、初めて使いましたがiPod touchではUSBを通しての本のダウンロードができない、初期設定時にWi-Fiが必要など、無線LAN環境がない私には辛いものがありますが、元々青空文庫iPod touchで読んでいるし、本の重さに煩わされることがないし、キャンペーン中でクーポンをもらっちゃったしとKindle沼にハマり込む可能性が高まってきました。

 

たぶん、無線LAN環境が最後の砦のような気がします……。

 

 

 

 

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