読みました。昔の自分か、と胸が痛くなりました。
昔は「柊さんって無口ですね」と言われた場合、「沈黙が平気なんです」とか「沈黙は金と母が言っていたので」と答えていました。痛い……。
ちなみに今は、「すみません、口下手なもので……」くらいの答え方です。少なくとも『沈黙が平気』とは言わなくなりました。
やっぱり本質的に『沈黙が苦にならない』というタイプであることは変わらないのですが、相手の立場に立ってみると『沈黙が平気』と言ってしまうのは『会話をシャットアウトして開き直っている』という風に見えることに気がついたからです。
そもそも『沈黙が平気』とはどういうことか
誰かと居る時に、会話が途切れたり、そもそも会話が発生しなくても特に気にならない、ということです。
むしろ、ひっきりなしにおしゃべりをするより楽だし落ち着くなぁ……と思います。
大抵の人は会話が途切れるとどことなく居心地が悪いようですが、私はそういうことがありません。また、『人と一緒に居るのに無言では意味がない』と考える人もいるようです。
書いていて思ったのですが、要するに私は『ぼっち属性』な訳で……。
それに加えて喋るのが億劫で相槌さえ面倒な時があるので、ものぐさなのが原因のひとつかも知れません。
でも、『沈黙が平気』は自分の都合
言及先で、下のようなことが書かれています。
(省略)取引先とか上司とかといるときにも、間をつなぐための協力を一切しないの。
注意しても、私沈黙平気なんで、とか言ってくるわけ。
気を使われるのも嫌だし、とか。 いや、おまえが良くても相手がどう思うかはわからないじゃん。
ただ、何か一言だけでいいから、相手に話しかけてくれ。寒くなりましたね、とかそういうのでいいから。
相手が話してるときに、相槌を打ってくれたら、なおありがたい。あぁー、へぇーとかでいいから。
ここの辺りに集約されているのですが、自分が沈黙が平気で、自分が話している時に相手が相槌がなくても気にならないとしても、相手にそれを求めてはいけないのです。それはあくまでも自分の都合なのですから。
親しい間柄なら良いかも知れませんが*1、上司や取引先となると自分の都合を押し付けるのはどうしてもうまくない訳で。
やっぱり『相手と関係を作る努力をしているのを見せる』ことや、『相手の話に適度に反応を示して気持ちよく喋ってもらう』って大事なことだと思うのです。
たまにはそういうコミュニケーションが煩わしかったり、そもそも気にしない人が上司や取引先の場合もあるかも知れませんけど、相手がどんなタイプかを知るための情報収集として、自分から行動を起こすというのは有用ではあります。
自分もできているとは言い難いのですが、折に触れて気をつけていかないとなあと感じています。
言及先について
あくまで増田の主観に基づく話なのでこれ以上のことはわかりませんけど、思ったのはこんなところです。
実際はもしかしたら増田はお喋り過ぎて鬱陶しがられているのかも知れないし、『沈黙が平気』な人は存外上司や取引先に好かれているかも知れないし、そもそも同行した目的は全然別のことなので喋る必要性が薄いのかも知れないし、その辺りはわかりませんが*2。
言っているのは割合普通のコミュニケーションのことだなあと……。
余談:母曰く沈黙は金について
うちの母というのが、あまりよそ様に家庭内の事情を知られたくない、というタイプです。反対に詮索するのも好みません。言いたければ本人が自分から言うでしょう、というスタンスなのです。
どこの家庭にも、そしてどんな人にも多かれ少なかれそれなりの事情はあるものです。生い立ちとか、嫁姑問題とか、お金のこととか、家族仲のことだとか。
しかし子どもの頃は言っていいこと、悪いことの区別もつかないのでよく怒られたものでした。おおむねうっかり本当のことや思ったことを正直にポロッと言ってしまうパターンです。しかも、今とは比べ物にならない程口が達者でお喋りだったらしいです*3。
そういう訳でして、『口は災いの元』『沈黙は金』『余分なことまで喋るんじゃない』という『喋らない方向』の注意を口が酸っぱくなる程言われておりました。
結果として、かなり無口な方に育った訳ですが*4……良い悪いは別として、失言によるマイナスと、沈黙していることでのマイナスを比較すると、失言の方がよりマイナスになることが多いよなあ……ということは感じています。
ただ、それは単純に沈黙していても『極端な減点には繋がらないがじりじりと点は減り続けているし、加点もしない』というだけのことなので、やっぱり言葉にしろ態度にしろ何らかの『表現』は必要だと思うのです。