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【書評】被差別の食卓

被差別の食卓 (新潮新書)

被差別地域*1出身の著者が、自分自身が親しんだ料理を始め、世界のさまざまな『被差別者たちの料理』を実際に食べていく本。

その昔、いわゆる『部落』について学校で習った時の感想は「差別と言われてもぴんとこないな」でした。そして、大人になってある程度知識がついても、差別される気持ちというのは想像の域を出ませんでした。

でもこの本を読んでみて、『食べ物』というフィルターを通すことで「なるほど」と腑に落ちる部分が多くありました。

それでは以下書評です。

あぶらかすと菜っ葉の煮物

幼い頃「あぶらかすと菜っ葉の煮物」が好きだった。母がよく作っていた料理だ。あぶらかすばかりを選って食べるものだから、「菜っ葉も食べや」とよく叱られたものだ。
あぶらかすとは、牛の腸をカリカリに炒り揚げたものだ。ボロ雑巾で形作ったドーナツのようなそれは、真ん中に穴があいていて、内側には脂がこってりとついている。母はよくそれをぶつ切りにして余分な脂を削ぎ、菜っ葉と煮た。

引用:被差別の食卓より

そんな書き出しで始まるこの本。その後あぶらかすを入れた祖父お手製の即席ラーメンも好きだったということにも触れていて、ここまではのん気に「美味しそう」と思っていたのですが、後に続くこの文ではっとしました。

そんな「あぶらかす」が実は一般的な食材でないと知ったのは、中学生くらいの頃だった。毎日のように自宅の冷蔵庫に入っていて今まで普通に食べていたものが、一般の人がまったく知らない食べ物だとわかったとき、とてもショックだったことを憶えている。

引用:被差別の食卓より

自分の普通が他の人の普通ではなかった……ということに気づく瞬間というのは、確かにショックです。周りの人とすごく隔たりを感じますし、自分は異質な存在なのでは、という考えも浮かんでくるでしょう。また、次第にそういった環境に生まれ育ったことを誇りに思うようにもなったようです。

そういった原体験が、世界を巡って被差別者の食べ物を食べる、という原動力になったのではと思います。

アメリカ、ブラジル、ブルガリアイラク、ネパールの『むら』の食事

作中著者は被差別地域のことを『むら』と称しています。どことなく近しい、ごく狭い場所を示すその語感はぴったりだと思いました。

そして自らのアイデンティティを胸に著者は世界を巡り、フライドチキン、チトリングス(豚のもつ煮)、コーンブレッド、フェジョアーダ(豚の内臓、耳、鼻、手足、尻尾などをマメと煮込んだ料理)、ハリネズミ、牛肉など、様々な『ソウルフード』を食べていきます。

それらの料理の成り立ちは、概ね差別者たる人々が見向きもしないものを、少しでも美味しくたべよう、というそれこそ試行錯誤の末のものです。

本の中で述べられているのは内臓などの臭みがあって食べにくい部位、家畜用のトウモロコシを利用したもの、宗教的にタブー視されているもの(牛肉)が多く、また高カロリーなものが多い。

過酷な肉体労働の日々の中、おそらく少しでも栄養を取るために工夫を凝らしてきた様子が浮かび上がってくるようでした。

フライドチキンにしても、私も元々はソウルフードだったということにいまひとつ納得がいかなかったのですが、食べやすいように時間をかけて揚げたのが元で、それが美味しかったから差別者の白人も食べるようになった……というものだそうです。

食べ物を通して巡る『むら』の文化の本

作中、もちろんいまひとつ美味しくないものもあったようですが、世界の『むら』のソウルフードの根底にあるものは、驚く程似通っています。

また、差別についても折々で触れられており、そして大概の反応は『色々ありすぎて憶えていない』、あるいは『当たり前になりすぎて感じない』というものです。

ソウルフードの成り立ち、そして折々に挟まれる差別についての話、そういった重たいテーマにも関わらずさらさらと読める文体など、最近読んだ本で一番面白い本でした。

被差別の食卓 (新潮新書)
上原 善広
新潮社
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*1:穢多・非人といった身分制度の最下層とされた人々が住んでいる地域。現代では身分そのものは廃止されているが、未だ差別は根強く残っている。屠殺や牛馬の解体などを生業としていることが多かった。仏教の考え方として、そういった動物を屠殺するような仕事は『穢れ』の概念もあり、更に差別されるという悪循環であった。