トワイライツ・ノーツ

読書感想と自転車と雑記

区切りのない4月1日という日

朝、電車に乗る時にやっと「あ、今日は4月1日か……」ということに思い至りました。

駅に向かう道すがら、新入生や新社会人といった風情の人たちが居たからです。

どうしてそんなことがわかるようになったんだろう、と考えてみたところ、年齢、板についていない制服やスーツ、気合の入りすぎた私服、まだまだ新しそうな鞄や靴、といったアイテムや、表情などを総合してそう判断しているようです。

私は人の表情を読み取るのが得意ではないのですが、緊張というのは伝わってきます。

服装については、大体『きっちりし過ぎている』『気合が入り過ぎている』『変なところがある』『逆に崩しすぎている』が多いなという印象です……新人や新入生の頃は加減がわかりませんしね。

ただ、そういう人たちを見て「4月1日だなぁ」ということにちゃんと思い当たった瞬間、完全に日付をただそれだけのものとしか捉えていなかったことに何だか愕然としてしまったのです。

ただの連続した『明日』

昨日は大多数の人と同じく仕事をしていた訳ですが、4月1日の業務のことばっかり考えていて(年度始まりなので4月1日は仕事が多いのです)、ただそれだけだったというか。

『区切り』という意識が頭から完全に抜けていたのです。

明日は4月1日だ。やることがたくさんある。以上。

いかにせよ、これはちょっとさみしい。

何だか最近は、余裕がないせいかそういった情緒的な部分をすっかり見落としがちです。

誕生日が来ても特に嬉しいこともないし、欲しいものもない。

クリスマスも同じ。

休みは家にこもっていたい。特に出かけたくはない。

ここ数年はそういった状態が続いていて、なおさら暦に注意というものを払っていなかったのも一因です。

区切りというものをもうちょっと意識したい

ただ、闇雲に『情緒』といったところで、何かきっかけでもないと難しいです。

という訳で、節目で『区切り』というものを意識していこうかな、ということを思いつきました。

イベント事に今までと少し違うことをしてみたり、入社半年記念とか、考えてみれば機会はありそうです。

大人になると大概そういったことに淡白になりますし、それはそれで淡々としていて嫌いではないですが、今回の件は少しばかりショックでしたし、もったいないなと思ってしまったのです。

とりあえず、暦を意識するということから始めてみたいと思います。