トワイライツ・ノーツ

読書感想と自転車と雑記

本を買うのはモッタイナイのか

「本なんて買っても、結局捨てるんだからもったいない」

「一冊××円として、××冊だからそれで××円のお金を本に使っている、何て無駄なことをするんだ」


最近実家に残してきた本も片付け始めているのですが、その様子を見ながらことあるごとに母がこう言います。


思えば昔から、母からはこのようなことをよく言われていました。

母は本を読まない人なので、本を買っては時折大量に処分している姿を見ると『もったいない』という感想になるようです。


確かに、今まで本にかけてきた金額を考えると(そして古本屋に売っても二足三文にしかならない)、『もったいない』というのもわかるのですが、言われる度にもやもやしていたのは事実でした。

でも、うまく言葉にならない――というより、『母を納得させられる言葉が思いつかない』という方が正確です。


本を買って読むというのは、『もったいない』とかそういうことじゃないんだよなあ……と思うのです。


一度だけ読めば充分という程度の本はなるべく図書館で借りますが、手元に置いておきたい本は買うことになります。

時間が経ち、『今の自分』に不要になった本は処分することになりますが、『読まなければ良かった』という本はひとつもありません。


確かに本を買ったり読んだりしなくても生きてはいけますが、読書という行為には生命活動に関与しない『楽しさ』と『知識を得ること』を求めています。


例えば、『生命活動に必要な栄養を満たす』ということのみ考えれば、食事の味なんてこだわる必要はないですが、人間、やっぱり美味しいものは食べたいですし、それは生きる活力になる訳です。


読書をするのも、その『食事の美味しさ』を求めるのと近い部分があるのですが、それを言えば『本は読まなくても生きていける』ということになり、結局話としては振り出しに戻ってしまいます。


母が本を読まないこと、それ自体に何を思う訳でもないですし、それは母の選択だと思っていますが、『もったいない』という言葉にはもやもやとしてしまいます。


面白い本も、つまらない本も――そして手放すことになった本も、読めば読んだなりに考えたりすることはありますし、『買う』という経験も含め、それは『もったいないこと』ではないと私は思っているからです。


反面、最近はインターネット上で無料の情報が手に入りますし、青空文庫など著作権切れの作品を公開しているサイトや、もっと言えば小説やブログを投稿している人は数え切れない程です。

また、交通費と手間を考えなければ、図書館で借りられる本も少なくはないです。


そういった『無料』のものが溢れる中で、本を買う意味――というのは何なのかとふと思いもするのですが、『インターネット上にないもの』『系統だったまとまった情報』『編集・校正などを通して質が高められたもの』を買っているのだと考えています。


また、『対価を支払う』という気持ちで、本はなるべく新刊を購入するようにしています。


そういう訳で、本を読まない母の『処分する物にもったいない』にうまく納得させられそうな言葉がどうも見つかりません。

というより、『読書の楽しさ』『カタチのないものを買っている』という感覚がわからない人とはその根幹部分で共有できる言葉がないような気がします。