お気に入りがもったいなくて使えないのは、完璧主義が過ぎるから
昔から、買ったモノはすぐ使いたいタイプでした。
それが気に入れば気に入る程、私は早く使いたいなあとワクワクした気持ちでいっぱいです。
しかし、そんな私とは正反対に、家族は大事なモノやお気に入り程使えないタイプ。プレゼントしたものはことごとく使わないし(ハンカチや服でもです)、「まだ使えるから」と古いモノや何かのオマケでもらった間に合わせのモノを使い続けたり……。
また、子どもの頃はせっかく買ってもらったモノをなかなか下ろさせてもらえず(未だに実家には未使用のモノが眠っています)、いたく不満を持っておりました。
更に、実家の片づけを手伝った際、10年以上押入れに入れっぱなしでシミがついた服がわんさか出てきた時は、心底もったいない……と思ったものです。
そんな家族を見ていると、『もったいない』というか完璧主義が強過ぎるから使えないのでは、ということに気がつきました。
下ろすタイミングにすごくこだわる
何かの節目
ちょっと綺麗めな服や鞄を買った時など、正月や新年度だとか、そういう時に下ろそうということをよく言います。
でもその『節目』というのは数ヶ月や、下手したら半年や年単位で先ということも多く、いざその時がおとずれても……忘れてしまっていることもあるのです、それがあること自体。
壊れない限り捨てられない
お気に入りはなかなか使わない
これも顕著ですが、たとえばすごく気に入った食器があるとしますね。新品の。
家族は使いません。
今使っているお皿が割れない限り取り替えないし、割れたとしても、何らかのオマケの食器を取り出してくることさえあります。
スペアに取っておく
ちょっと古びた家電なども捨てません。たとえば、私がひとり暮らしをしていた時の家電がいくつか実家にはあります。さすがに6年も使えば、あちこち汚れたり、多少のサビなども見受けられます。
もちろん実家には既に家電は揃っているため、ほとんどのものはダブってしまっています。捨てたら、と言ったこともありますが、やはり捨てないです。もったいないからと。
今使っているものが壊れた時にスペアにするつもりだそうですが、まだまだ壊れる気配はありませんし、既に1年近くが経過しています。
もらえるものはもらっておくし、捨てない
何にも考えずもらえるものをもらい続けていると、食器だの雑貨だのはかなりの数たまっていきます。
家族を見ていると、くれるというものはあまり断らないです。結果、上記のように『お気に入りの食器』にたどり着く以前に引き出物やオマケでもらった食器がいっぱいあったりする訳で……。
また、引き出物でちょっといい食器などがあっても、「これ、使いやすそう」とちょっと品評してから食器棚や押入れの奥へ、ということも多々あります。
ふだん使っている食器はごくごく一部ですし、家中の食器や雑貨を出してきたら何人分になるのか、ちょっと予想がつかないです。
『古くなった』『使っていない』だけでは捨てない
私が赤ん坊の頃に使っていたベビーカー(何十年物)をまだ取ってある、というのは序の口です*1。
子供の頃の鞄(未使用)、服、雑貨など、何十年ものがまだまだ残っています。
大物として、学習机もあります。もはや誰も使わないですが、捨てる気配はないです。
大事なもの程奥へしまいこむ
この理由は単純明快で、使用することがないから自然と奥へ奥へとしまいこまれてしまうのです。
しかも親はパズル的な収納の達人で、私などは一度崩したら二度と戻せないため、押入れの中に迂闊に触れなくなっています。
一方、使い始めたら結構雑な扱いをする
親は物を大切に使うタイプですが、きょうだいは使い始めたら結構雑です。あちこちにぽいぽい置いたり、積み重ねたり、はたまた無くしたり……。
どれも完璧主義からきている
下ろすタイミングにこだわるのも、壊れる(完全に使えなくなる)まで捨てられないのも、なかなか使わないのも、使い始めたら雑な扱いなのも……たぶん、完璧主義からきているんだろうなあと思います。
使い始めるまではとにかく大事に大事にしまい込んで(長いことしまい込み過ぎて服のようにダメにすることもありますが)、いざ使い始めたら雑、というのも一旦使用開始したら『完璧な状態』ではなくなるという意識なのではないでしょうか。
壊れて捨てるかどうかの判定もかなり厳しい基準です。これも『完璧に壊れて使えなくなるまで』という方向での完璧主義故でしょう。
そうやって大事に取っておいているものがあることで幸せな気持ちになるなら、それはそれでひとつの楽しみ方ではあるでしょうが、『大事にしすぎて』あまり好きではないモノに囲まれている、というのは本末転倒な気がします。
また、特に服などで顕著ですが『服がない』という言葉を発しているのを聞くと、首をかしげたくなります。だって、その押入れの中に服がいっぱいあるのに、と。
完璧主義をやめるのはなかなか難しいことでしょうが、『気に入ったものを使う』という楽しみ方、してくれると私も嬉しいのだけど、と思う今日この頃です。